長崎出身の武基雄が、原爆復興を願い設計した市民劇場。八角形の客席とホワイエを壁柱で大架構とし、背後に舞台と楽屋を配した単純明快な平面構成が、外観にも表れる。コンクリート打放しの巨大な屋根梁や、タイル貼りの壁体など材質によって骨格が明確化され、舞台と客席の一体感が極めて高いのも特徴である。前面広場では、伝統芸能「おくんち」が毎秋、繰り広げられる。
原爆復興と平和の象徴
被爆直後の長崎が平和文化都市として再編されることを願って、全国から寄せられた浄財である原爆復興基金が使われた。この基金にもとづく文化施設には、国際文化会館や長崎水族館などもあったが、これらはすでに失われたため、公会堂は最後に残された一つ。
文化財的な価値
DOCOMOMO Japan(近代建築の記録と保存に関する国際的な学術組織の日本支部)が、2003年に全国にある近代建築の重要遺構100点(以後の追加で現在では150点)の内の1つとして選定。近代建築の重要遺構100点には、東京の国立西洋美術館や広島のピースセンター、世界平和記念聖堂といったその後に国の重要文化財に指定されたものも含まれている。
また、長崎市出身の建築家・武基雄氏が設計したその代表作でもある。同じく早大教授だった今井兼次氏が設計し、同年に竣工した日本二十六聖人殉教記念館と並んで、長崎市街に残る戦後日本近代建築の双璧というべき名建築。
都市景観的資質
文化的諸行事の晴れ舞台として果たしてきた役割は、多くの市民の記憶に焼き付いている。またその前面に設けられた広場は、くんちをはじめ、さまざまなイベントに利用されてきたが、何もない時でもその空間がもたらす開放感はほかに替え難い。この建築と広場がもつ余裕と風格こそが、原爆からの復興を遂げた都市・長崎の、そして市民共有の大切な財産である。
1962年/武基雄 Motoo TAKE/長崎市魚の町4-30