公会堂さるく&トーク その2

watanabe22013年11月3日(日・祝)に開催した長崎市公会堂さるく&トーク。
設計を担当した渡辺満氏、DOCOMOMO Japan名誉会員の兼松紘一郎氏を迎え、
長崎市公会堂の歴史と建築的価値を再認識する貴重な機会となりました。
当日は、約150名の方にご参加いただき、トークセッションでは会場からたくさんのご意見を頂戴しました。
参加できなかった方のために、意見交換の内容をお届けします。
尚、会場からご意見をいただいた参加者については匿名とし、内容に適宜、編集を加えました。
<動画:写真をクリックすると第2部トークセッションの3.メッセージ紹介と4.意見交換の一部が動画でご覧いただけます>
※参加者のご厚意により動画をご提供いただきました。

4.意見交換

鉄川:これから、皆さんにお話を聞かせていただいたり、或いは3人の先生方への質問等も含めて、あと少しの時間、お話を続けていきたいと思っております。実は、当初、壇上に全員が上がれる程度の人数を予測し、こんなにたくさんの方に来ていただけるとは思っておりませんでした。結果的に、私の立ち位置が非常に微妙なところで、どこに立って良いのかわからない状況になっておりますので、ウロウロしながら進行させていただきます。ぜひ、挙手でも結構ですし、もしなければ私が目が合った人を当てますので、お話をいただきたくお願いします。お名前と、よろしければ所属をお話いただき、これまでの3人の先生方のお話に対して、或いは、皆さんのお気持ちをお伺いできればと思います。壇上と場内にマイク係がおりますので、積極的なご参加をお願いします。では、どなたかいらっしゃいませんか?

参加者:公会堂を残そうと思うには、どのようなことをしたらいいのか聞かせて欲しいと思います。

鉄川:この質問の答えを、どなたにふってよいのかわかりませんが、どうしようもないときは、研究会の代表にまわすことになっております。

参加者:〇と申します。昭和37年、この建物ができたときに私は長崎○○という会の運営委員をやっておりました。今までは三菱会館やカトリックセンターでやっていたのが、この建物が出来て、本当に素晴らしい建物だと思ったことがあります。第1回は、坂本スミ子さんに来ていただいて演奏した経験があります。その後50年経ったわけですが、私も合唱団などで、この舞台には30回余り、客席には何百回と座りました。

しかし、いろいろ考えると、非常に問題点の多い建物だと私は思いました。何故かというと、1番目はトイレの数が決定的に少ない。これが最大の問題です。我々が演奏会をするときに、女性用トイレの並び方を見ながら休憩時間を決めなければいけないという非常に大きな問題があります。2番目は、非常口が2か所しかないこと。火事があったら席によって出にくい、という大変な問題があります。3番目はエレベータがないこと。何故、エレベータがないのか、最初に設計するときに考えなかったのか。それから、音響について。残念ながら私どもが音楽会をやるときに、場所によって音が非常に悪い。以上のように問題点が非常に多い建物ですが、やはりそういう建物でも残さなければならないのか、という私なりの心配があります。

鉄川:ありがとうございます。今日は、それぞれのお気持ちをお伺いするセッションでございますので、どういう方向性でも結構ですので、ご意見をいただきたいと思います。

中村:この建物の殆どは、50年前につくられた当時のものが、今もそのまま残っているという現状です。例えば、皆さんが住宅にお住まいのとき、50年前の状態で、エアコンが効かないとか水道の出が悪いとか、湯沸かし器の効率が悪いだとかを論じて住まわれますか?やはり、その時代によって少しずつ改善したり、ライフスタイルに合わせて改善されていると思います。

どうやって残せるかということの一つは、使いやすさをどう作り直すかということで、公会堂では、あまり努力をしてこなかったと思います。そういう点を含めて問題があるのは承知していますが、50年間使い続けられるものを一番最初に作ったことの凄さをもう一度見て欲しいと思って我々はこういう機会を設けました。使いにくいという点に関しては、まだまだ改良できると考え、今回の企画をした次第です。

兼松兼松:中村さんが言われたことは、もっともなことです。私は幾つかの、建築を残していくための委員会に関わっています。例えば、一つは名古屋近郊の愛知県立芸術大学。これは、吉村順三という建築家の設計したキャンパスですが、一つはやはり耐震の問題があります。もう一つは教育の仕方や今の時代の学生さんにうまく対応できない。

例えば、女性が多くなってきたが、女性用トイレが少ないとか。それをどうしようかということを検証する委員会をやっています。いろんな問題がありましたが、基本的には全部残すということになりました。ただ、トイレはないといけない。耐震改修もしなきゃいけない。それからバリアフリーもあります。足の悪い人が2階に行くときにどうしなければいけないか。それは、今の時代に合う機能として、手を入れていけばいい。その時に一番大切なのは、その建築がもっている、何が大切でどこをきっちり捉え、それを壊さないような形で機能を今の時代に合うようにしていくかということを考えれば良いのです。この公会堂も、トレイの問題やエレベータがないという問題が出ていますが、エレベータを付ければいいのです。一部を増築すれば良いのです。その増築の仕方をどういう風にすれば良いか。耐震の問題がある場合は、今の新しい技術で検証し、手を入れるときに、この価値を損なわない、長く使い続けてきたものと考えれば良いのです。

それから、もう一つ。愛媛県のレーモンドという建築家による町役場(旧広見町庁舎)があります。そこも同じようなことがありました。建替えるとか、いろいろありましたが、基本的には小さい町役場ですが、鉄筋コンクリートの3階建てに、木造で増築をすることになりました。その際に、町の中のあり方を壊さないようにする。では、増築はどのような姿にすれば良いのかということを延々と2、3年積み重ね、合意ができてやってきました。

このように事例はたくさんあります。壊されてしまう方が、むしろ数が多いけれど、そのようなことを一生懸命工夫しながらやっていくこともあります。やはり、一番大切なのは、どうしても公共建築の場合は、それを仕切る行政サイド、市長を始め、議員さんなど、そういう人達が自分達のまちの中に、建築がどういう位置づけにあるかということをきっちり考え、検証し、そういうところにお金をかけてきっちりしていくということ。

ここの場合は、新しい市庁舎をつくるときに、これを残してどういうことを考えていけばいいのか、ということを公開しながら、市民の合意を得ていく、というようなことを考えた方が良いと思います。

参加者:○○と申します。今日は貴重なプレゼンテーションをありがとうございます。こういう機会をつくっていただきまして大変感謝しております。今、愛知県立芸術大学のことが出ましたが、実は、私は5年半程、そこで勤務しておりました。しかも、公舎にも住んでおりまして、吉村順三の住宅に住んだという非常に恵まれたこともありました。

長崎市公会堂は建築単体もすばらしいわけですが、もうちょっと考えてみますと、都市の中に広場を提供しているという面も評価すべきことではないかと思っています。広場プラス建築で都市の重要な構成要素をつくっています。例えば、おくんちです。諏訪神社で踊った後に、こちらでパフォーマンスされる。それから、成人式。ここで成人を迎え、成人式をされた人達は広場に出て友だち同士で再会をしたり、交流したりする、そういうスペースを都市の中に生み出しているという点で見逃せないと思っています。

それから、(メッセージの紹介で)穂積先生から今治の例がありました。実は、今年は丹下健三先生が誕生して100年目で、色々なイベントがされています。9月4日に今治で講演会があり、参加しました。そこには、今治市公会堂と今治市庁舎がL字の配置で非常によく残っています。今治でやれるのに、何故、長崎ではできないのかと思うところもございます。

私は、広島で生まれ育ったので、原爆資料館をしょっちゅう見ていたわけですが、丹下先生の原爆資料館は1951年に出来ました。現在、国の重要文化財になっております。そういうことを考えますと、その辺の年代の建築でも重要文化財になっているということです。公会堂がどのように評価されるかは今後、色々あると思いますが、公会堂、或いは長崎の歴史を踏まえながら、もう少し広く捉えていくと、公会堂の価値が更に多面的にわかるのではないかと思いました。

鉄川:今日、お見えの方で私からもご意見をいただきたい方がいらっしゃいます。郷土史家の先生がおいでですので、よろしければ何かコメントをいただけませんでしょうか。

勝山小学校

1936年竣工の勝山小学校は1997年統廃合により閉校。その後校舎は桜町小学校として使用されたが、2003年新校舎に建替えられた。

参加者:郷土史家と言われると非常にまずいので、私は郷土史愛好家でございます。専門家ではございませんので、その点予めご了承いただいた上でお話します。実は私もこの公会堂を年に1回、「○○の会」で有名な人を呼んで講演会を毎年やっております。2,000人近くの人達を集めますので、やるとすればここでやるか、ブリックホールでやるしかないのです。1回ブリックホールでやりましたが、全然不評でございました。という意味で、先程いろいろな方からお話がありましたように、この場所というのは、歴史の面で申しますと、林先生がおっしゃったように系列の中で(判断する必要があると思う)。私も勝山小学校出身ですが、勝山小学校も何故あのようになくなってしまったのか、と残念でたまらないものでございます。そういう系列の中で、これから百年先ぐらいを見通してこれを残すかどうかの判断をしていく、そういう必要があると思うのです。

そして、そのためにはやはりここを使っていかなくてはなりませんし、使っていくためには、不便なところ、特に一番心配なのは安全かどうか、バリアフリーの問題、そういうところをクリアできるのか。そこら辺を専門家の皆様にも、もっと早くから、ちょっとお話を聞いておけば良かったなと、今、残念に思っているところです。今日、話をお聞きしまして、非常に色々な点で意を用いて作っておられる。そういうところもございますし、そういう技術や経験というのは、新しい建築でも利用できないとは言えないわけです。その点だけで、ここを残す理由にはなりませんので、ぜひここを残すことが出来るためには、やはり、今後、この建物を有効に活用しながら、しかも、建築的に新しいエレベータ、或いは新しい照明、或いは手洗いの問題など、そういうものを入れて新しく作るものと、こちらの方が経費的にもどうなのかという点も含めて総合的に判断して頂かなければならないのではと思います。

端的に言いまして、安全かどうか、そして、新しい技術を入れて(検討してみる)。この建物を作る時の人間の大きさと今の若い人の大きさがかなり違うので頭をぶつけそうな所もあり、椅子が窮屈なところもある。そういう点まで含め、新しい時代にまだ使って、今後継続できるかどうかをぜひ専門家の皆様に検討していただき、その結果も踏まえて保存を。私は、この場所にぜひ、こういう形で残していただくのがベストだと思います。ただ、それだけ言ってもどうしようもありませんので、ぜひ皆様方にもう一回知恵を絞っていただきたい。これは、お願いというか、歴史家という立場では全然話になっていませんが、お許しいただき、私の意見とさせていただきます。どなたがどう、ということは申し上げませんが、お答えいただける方がおられたら、ぜひよろしくお願いします。

鉄川:ありがとうございました。もう少し知りたいところがある、ということですが、ここの設計をされた渡辺さんから、少し絵(スライド)も含めて説明があるということです。渡辺さん、どうぞよろしくお願いします。

渡辺:武先生がどんな先生かということで紹介します。

making写真①は丹下先生と一緒に、②これはルイス・カーンと一緒です。③これは、最初の模型で、我々の手作りです。④これは、図面が出来上がったときに市役所にお納めしたプロが作った模型です。この模型は今、どこにあるかわかりませんが大変立派な模型でした。⑤これは、工事がどんな風だったかということで、これは現場の役所の小屋です。⑥これは、現場の人が働いているところ。⑦これは、鉄骨を組んだところです。下に大長崎の表示がある。こんな風だったのです。⑧これは、そのときに大変一生懸命やってくれた人です。⑨これは、出来上がった日で、雨が降っていました。⑩ここにある家具などは、全部その頃のものです。

武研究室にはそうそうたる人達がいました。例えば、菊竹請訓さんが第1号の先生のお弟子さんです。そして仙台に、最初から公会堂を作られています。あれもコンペだと思います。そのすぐ後に体育館というかレジャーセンターを作られています。武先生はまだ助教授になられていなかったと思いますが、レジャーセンターというしゃれた名前をつけられました。

武先生の考え方は非常によく出来ていまして、いる人間が自分で考えて一生懸命やれという教育でした。それで、たまたま私はまだ生きていて、他に知っている人がいないので、ここに来れたのですが、学閥、閨閥(けいばつ)とか、色々な種類のお弟子さんに対しては、誰もそう思わないのが集まったのが武研究室でした、ということを申し上げます。

そこで、1個1個、担当者がおりますので、担当者の意思がたくさん働くというのが、武先生の本当の良さです。武先生の本当の良さは、教育者として一人ひとりの個人の人生というか、設計業になろうが、学校の教師になろうが、設計、建築に関係がある。武先生は建築家でしたので、構造家さんや、一番大事なのは建てる人達、いわゆる土建業者なる人達も凄く大切ですが、先生のご専門である設計をどういうふうにしたら設計ができるようになるだろうと。これは、死ぬまでうまく出来ないだろうと、私なんかはつくづく思っておりますけれども、一人ひとりの教え子が自分の足で立ってやれということを身をもって示されたし、我々全員がそう思っています。ですから、スピンアウトの連続のようなものです。それは、うちの研究室でございました。私でないと知らないことなので、言っておきます。

鉄川:ありがとうございました。今、写真を出して頂きましたが、こんなに早いとわからないと申し上げましたところ、使用許可を頂きましたのでfacebookにあげておきます。興味のある方はご覧いただければと思います。Facebookも便利なもので長崎で発信しますと、色んなところからお出でいただきます。少し遠方の方からもお話を聞きたいと思っておりますが。では、そちらの方、先にお願いいたします。

香港上海銀行

左側の建物が1904年竣工、下田菊太郎設計の香港上海銀行長崎支店。右側は、1897年竣工、ジョサイア・コンドル設計の長崎ホテル。(現存せず)

参加者:私は長いこと県庁にお世話になっていた○○というものです。実は、長崎の市民力が公の建物をがんばっ
て残したという歴史が一つあります。それは、香港上海銀行が、長崎市の方では取り壊すという結論が出た後に、若い人達が、市内の若い青年達が絶対壊したらいかんという、長崎では珍しい、市民力がものを言った実例がございます。

公会堂の問題も議会あたりが、本当のことがわかって計画を立てたのではないのではないか、と。何となく誰かが言いだして、それ行け、それ行けと言って、気付いたときはもう手遅れだった、ということが、戦後の長崎のまちづくりを考えてみると、たくさんございます。元々、この公会堂や県立図書館、水族館、ロープウェー、こういうプロジェクトは被爆都市の長崎を世界に呼び掛けてお金を集めて再建しようと、長崎文化都市建設法という特別立法で、今も私は残っていると思います。廃止になったということは聞いておりませんので、そういう井戸を掘った人達の哲学を本当にわかって物事を決めているのなら納得できると思うですが、実際は無関係に政治家の一部の人達の力でことが運ばれることは、非常に問題が多いと思います。その点をぜひ、東京からお見えの渡辺先生、兼松先生に、ぜひ市民力を使ってうまくいったという例がございましたら、お教えいただきたいと思います。

それからもう一つ、市民力をまとめてくれたのが、この公会堂を建設した大長崎建設の社長をしていた中部悦郎さんという経済人がいるわけです。この方は、本来、県や市など公共団体がやるべき長崎の復興を、当時は県も市も占領軍相手の仕事が忙しく、まちづくりになかなか手が回らなかったことによって、商工会議所が中心になってやってもらいました。その一つがこの公会堂でもあるわけです。長崎がもっている本来の市民力と言いますか、ちょうど出島を作った昔、何名かの地主さんがおりますが、そういった長崎の再建のため、或いはこういった由緒ある建物を残そうという運動にぜひ活用していただきたいと思います。よろしくどうぞお願いします。

鉄川:実は先程ご紹介した遠方からお出で頂いたという方ですが、沖縄からはるばるお出で頂いたと伺っております。沖縄で保存活用運動を行われている方とお伺いしております。

参加者:皆さんこんにちは。沖縄から来ました○○○といいます。何故、沖縄からわざわざ長崎までと思うかもしれませんが、ちょうど同じような環境です。那覇市民会館という建物が建設当時、まだアメリカの占領下にあり、その時期、沖縄の文化というか、沖縄が自立するために作るということで、がんばった建物が那覇市民会館です。それが今、那覇市長が解体するとは言っていませんが、新しい市民会館の建設位置が決まりました。古い建物を今後どうしていくかと。市長は解体して新しいものを作る気だと思われ、言葉にはしていませんが、そういう時期に、この長崎での集まりがあるということで、他府県ではどういうことをやっているのか勉強しに来ました。

今日の話をお伺いし、この建物を見て、長崎は凄くいいなと思いました。古い建物もたくさん残っているし、素晴らしい建物も残っている。この会の発表メンバーを見ると、偉い先生がいっぱいいて、知識人がいっぱいいます。何故、私がここにいるかと言うと、私は那覇市民会館を考える会の代表で49歳です。その中で一番年寄りです。この若さでどう動いて良いのか、先輩達の力をこれからどう借りて行こうか、という中で出てきました。

那覇市民会館とこの建物の違いですが、那覇市民会館も同じようにエレベータがありませんでしたが、後でエレベータを見えないように増築しました。スロープも後で階段を壊して増築しています。客席の間隔が狭いという話が出ましたが、那覇市民会館も5年程前に、1,800入る客席数を減らし、間隔をあけて1,500ぐらいに改修工事をして使えるようにはしています。が、やはり解体しようと。

一番の違いは、構造体、コンクリートの違いが大きいように感じました。多少、クラックが入っているのが見受けられますが、当時の建築技術が良かったのではないかと思います。那覇市民会館はコンクリートの塩害が大きく、剥離し、だいぶ崩れていて危険だと言われています。現在の建築基準法には合わず、耐震改修が必要だと言われていると思いますが、公会堂の場合は見た目、私たちの那覇市民会館と比べるととても恵まれているな、残した方がいいなと感じました。

鉄川:遠方という話でもうひと方、ご推薦がございました。○○さんにコメントをいただきたいと思います。

参加者:○○と申します。イタリア出身です。長崎にはもう30年ぐらい前に来て、長くこのまちで暮らし、故郷だと思っています。私の外国人の友だちや、よそから来ている方達の中でよく話をしているのは、長崎のことを愛しているのは私たちの方です、長崎出身の人達ではありませんと。つまり、長崎らしい、長崎の個性を守りながら他のまちとは違うところを残しながら、この美しいまちをずっと残したいところです。

それで、話を聞いていて、すごく小さいところ、トイレや危ないところ、エレベータの話が出ていますが、そういうところは問題ではないと思います。私の国では何百年も前からの建物はまだ使っています。私の大学は1500年代に建てられた建物です。まだ授業もやっています。卒業式もそこで行われていますし、ガリレオ・ガリレイが使っていた木造の居宅も残っています。大した居宅ではありませんし、芸術的な価値もありませんが、昔のことを残しながら現代人はどこに行けばよいのかということが見えてくるのではないか、という考え方ではないかと思います。

長崎こそ、原爆を忘れてはいけないとか、平和がどうこうと言っているにも関わらず、まちづくりとしては、昔のことを消そうとしています。要するに、長崎の個性を残したいのか、或いはどこのまちとでも同じような建物にしたいのか。金太郎飴のようなまちにしたいのか。これが大きな問題だと思います。これを長崎の人は考えないといけないということです。

最後に、ではこれを残すためにはどうしたら良いのか。内部を工夫しながら、現代的な、人間に合うようにするのは幾らでも出来ます。しかし、この建物の姿を長崎のまちから消していいのかということが大きな問題だと思います。

鉄川:ありがとうございました。皆さんのお話を伺っているうちに予定の時間まであと10分になって参りました。あと、お一方かお二方にお話を頂ければと思います。

参加者:私が最初に質問しましたように、市民力のためには、どのようなことを協力していったら良いのかということをお聞きしたかったのです。

鉄川:最初にご質問いただきましたが、今日は皆さんの意見を伺おうということで、責任ある回答がなかなか難しいところもございます。最後に当会の会長がご挨拶しますので、その辺も含めて回答をいただければと思います。

参加者:○○と申します。本日はわかりやすくておもしろいお話ありがとうございます。渡辺さんに質問です。お話の中で、ここは劇場でもないし、映画館でもない。ここは公会堂であると強調されていて、ご案内されていた時も、公会堂だから冗長性をもたせたような形にして、色んな人が会うような公共の場をつくるということを設計理念としているとおっしゃられていました。

公会堂というビルディングタイプをかなり強調されていますが、公会堂として設計する上で研究室の中でどういった議論があったのか。また、研究室外でも、長崎市が、市民会館でも文化会館でもなく公会堂という名前を出されていたので、どういう議論があったのか。研究室内外でどういった議論があったのかという点と先行事例(との関係について)。先程も都市の文脈の中でこの公会堂があるというお話がありました。日比谷公会堂も日比谷公園との関係性があります。そういった先行事例の公会堂との関係で、設計されたときの思想というかお話を伺いたいと思います。

渡辺:今のお話は大変具体的ですが、例えば我々の仲間同士で、或いは研究室でどんなことが話されたかというのは、生活の一部分を切り取ることなので、意外にわかりやすくても具体的ではない、と思います。そこで私は、同じことですが、具体的な方法でお答えします。

我々は歩いて来て、そして人に会って挨拶をして、全て出来るのは五感に、目で見える、或いは聞こえる、ボディーランゲージがわかるということ。ですから遠いところに来ても、ちょっと見て、あの人が来たとわかる。目が悪い方がいらっしゃるので、私は目だけとは申しません。ですが、建築の場合の基本の大部分、多分80-90%は、目でどういう風に見えるだろうかということになります。

そこで、公会堂と商業劇場が違うのは、商業劇場ではお客さんは切符を買ったら座って舞台でお金を払った分に対するパフォーマンスを見て楽しんで帰る。公会堂は来る人達と、やぁまた会ったねとか、次のクラス会はどこでやろうかとか、お花見はどう、とか話をしながら、中にいる人達がお互いに目線で、或いはしぐさでコミュニケーションが出来るような。そのためには見えなければならない。これは、商業建築とは違う。

そして、先程、前例(先行事例)とおっしゃいましたが、日比谷公会堂をやったときには、そういう要素は考えていないと思います。何故かというと、東京都というのは大きすぎて、その頃は東京市でしたが、市民の集うコミュニティセンターという言葉は、そもそも言葉では成り立っても実際は成り立ち得ないわけです。そういうことはあり得ません。ですから、非常に多くの場合に、コミュニティという言葉とそのスケール、人数というのは、大変簡単な数学的な関係があると私は固く信じています。

我々の間でも、研究室の者同士の間で、或いは武先生も含めて(議論されました)。多くの場合武先生を含みますが、先生は民主的で声が大きく、お酒を飲むのが好きなので、しょっちゅう話し合いがあるわけです。その時には、私の言う方が勝ちますし、勝ったから出来たわけです。

それで、前例と公会堂についてのご質問に合わせたつもりですが、建築の設計というのは具体的です。その中で本当に具体的なことについては今、申し上げました。次に具体的なことはお金がかかるとか、土地がなければならないとか。ここの場合には、自治体がお施主さんである。ということは、決して市長さんがお施主さんでもなければ、議長さんがお施主さんでもないわけで、市民がお施主さんなわけです。

この問題をよく間違えられます。学校、大学をつくるときに理事長さんやお金を出す人、或いは財団の人などがお施主さんだと思って設計する設計事務所が90%以上です。ですけれども、大学を設計する時はあくまでも学生と、そこで教える先生達が施主である。これは病院でも同じ、市役所でも同じ、住宅でも同じです。親父さんと銀行が施主だと思って住宅を設計する人には、二度目からは誰も頼みに来ないはずです。実際には世の中に営業という言葉があるので変わってきます。これは設計業でも営業という言葉があるので、実際は大変変わっていると思います。

鉄川:ありがとうございました。本当に様々なお話を今日は頂きました。まだまだお話をお伺いしたいのですが、そろそろ予定の時間が近づいて参りました。

参加者:福岡から来ました○○と申します。県外なもので、新聞情報でしか知りませんでしたが、市役所を建替えるので、ここを壊して建てるということと、県庁が移転するというのが新聞に載っていました。県と市は仲良くしないといけませんが、県庁が移転した後に市役所を新しく建てるのか、県庁を仮庁舎として、市役所を現地で建替えるとか、そういう方法もあると思うので、単純に建てる所がないから壊すという発想はやめて欲しいと思います。

議会が決めることでしょうが、要は残すために方法を考えておかないと、単純に残した方がいいと言われても、じゃあ、市庁舎はどうするんだという話になるので、市庁舎を新しく建てる場所を考えれば意外とスムーズにいったりするんじゃないかなという期待はあるんです。皆さん、いっしょに考えましょうよ。

鉄川:ありがとうございました。様々な意見を頂きましたけれども、当会の林代表からご挨拶を申し上げます。

公会堂正面外観

公会堂正面外観

林:たくさんの方にお越し頂きまして、心からお礼を申し上げたいと思います。実は、この「公会堂さるく&トーク」をやろうかというのは、わずか2カ月程前のことでした。私自身は今年の初め頃に、長崎新聞に投稿させて頂きまして、この問題はわりと大きな問題ですよということはしたつもりですが、なかなか、どうして良いのかが実はわかりませんでした。今も、実はわかりません。先程、会場の方から、「どうすればいいの?」という本当に切実なお声を頂いたんですけれど。どうしたら良いのでしょうか。

今の段階では、先ずは、様々な方が声を出す。或いは、こういうアイデアがある、ということを寄せる以外にないのではないかと、これが一つだと思います。今日は、たくさんの方々にご来場頂きましたが、同時に東京からは、この建物の実際に設計、施工の監理をされた渡辺満先生、そして、DOCOMOMO Japanの前幹事長の兼松先生にもお越しいただきありがとうございました。

それで、今後どう考えていくかということに、たくさんの方から、様々なご意見、或いは示唆を頂いております。整理することは、なかなか難しいですけれども、一つは問題が多い建物である。現在からみて、欠点も多い。まあ、当たり前です。50年も経てば皆さんのお宅だって50年前のものがそのまま使えるわけではない。或いは当時の設計の技術。渡辺先生は一生懸命なさったのですが、やはり現代と比べると劣っているところ、或いは足りなかったところはあります。

更には公会堂という、言ってみれば機能が多目的なために、最初から制限されたところがあります。しかし、幸いなことに、この今出てきた問題点は解決し得ない問題では全くない。現代の技術をもってすれば、仮にこの建物が耐震的にまずいとしても、これだけ大きな、がらんどうの建物ですから、ごくごく簡単に耐震補強できると思います。この建物は幸いなことに、中のホールさえ守れば良いわけですから、(例えば)梁の下に梁をつければ何ということはない、柱を少し太くすれば良いわけです。そういう意味では、構造的な問題、そして、設備的な問題はもっと楽だと思います。現代の設備技術は本当に進んでいますから。

更に幸いなことに、現在1,800人が入るホールの収容人数を2,000人にするのはきついけれど、1,200とか1,000で良いと、以前、市の方で捉えております。ブリックホールがあるので、同じようなものはいらないというお話でした。ますます楽ですね。ここでぱっと見た時に、上の方の5列から6列は切って良いし、両端だって切ってよい。物凄く楽な改修が出来そうだと思います。その意味では、全て問題点は現代技術をもってすれば、何ていうことはない。もちろん、経費がかかるということはあります。新築するよりは、はるかに安いはずです。

一方でこの建物がもっている良い点を今日は幾つか学ばせていただきました。一つは、今、私は舞台の上に立っていますが、客席の一番上に先程皆さんも行かれたと思いますが、これだけ親近感のあると言いますか、親密なホールはそう無いと思います。ブリックホールなどに行きますと、舞台上の方の顔がよく見えない。それに比べると、ここは、本当に皆さんが身近で、来たお客さん同士も「やあ、やあ」という感じになれる。そういう空間が勝っている。

更には建物の外観。そんなに気張った、ある意味では斬新な建物ではないと思います。しかし、長崎の街並みの中に溶け込んだ、市民の記憶に残って嫌な感じがしない建物です。一説によると、正面の形は、御諏訪さんの鳥居をイメージされているといわれています。多分、そういうこともあったのかもしれません。しかし、そういう良い点を今後、私達はどんどん発掘していかなければいけないだろうと思います。

そして、何よりも大切なのは、やはり、この建物が、もしなくなったときに、このまち全体が失うものがもっと大きいのではないか、ということを皆さんと一緒に考えたいと思います。一つは、先程から色々出ていますけれども、この都市の持っている魅力は、歴史が様々な形で重層している。或いは古いものが残りながら、より厚みを増していくことだろうと思います。1960年代、日本が一番良かった時代のものを我がまちも持っている。それを、しかも良い形で残して持つ、ということにぜひなりたい。

もう一つは、原爆の問題に対して。あの時の浄財を集めて作られた、実は最後の施設なのです。水族館もなくなりました。当時の美術博物館もなくなりました。国際文化会館もなくなりました。これが、最後なのです。そういう意味では、被爆都市長崎が、全国に、全世界に訴えるときに、自分のものをちゃんとしないで、平和という言葉がそんなに簡単に言えるのでしょうか。私は、そこの問題があると思います。

それからもう一つは、先程どなたかもご指摘いただきましたが、実はこのまちの中で、この建物が50年間に刻んできたのは、今、周りを見渡すとマンションだらけですよね。その中で、大変良い安らぎ、或いはゆとりの空間を作っている、そういう魅力も多分あるだろうと思います。そういう様々なことを今後、皆さんと一緒に考えていきたい。その第1回には、皆さんのご協力によって何とか達成し得たのではないかと思います。本当にどうもありがとうございました。

鉄川:これで、本日のプログラムは全て終了させていただきました。本日は、本当にありがとうございました。

投稿者

長崎都市遺産研究会
長崎都市遺産研究会

長崎都市遺産研究会は、都市の中で埋もれていたり、解体されようとしている貴重な建築遺産を発掘、保全し、次世代に継承するための支援活動を行う市民団体です。

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