軍艦島の近代建築群

西洋近代化を進める日本において、長崎港外の高島や端島では海底炭坑の工業都市化が進んだ。
1910年代後半に近代建築様式の建築群が突如現れた。
そこには幕末からの技術移転や産業革命の足跡が見える。
写真は、閉山前から軍艦島を研究されていた片寄俊秀先生から寄贈された。

Photo

右手の直線的な建物は、9階建炭坑労働者住宅16号棟。軍艦島と呼ばれる前の、大正末期の端島である。 正面の鉄筋コンクリート造は、9階建て16号棟。1918(大正7)年に建設され、12階まで増築予定だった。
他の建築物は全て木造で、左上には神社が見える。 正面は労働者用の日給社宅17号棟、6階建鉄筋コンクリート造。奥の建物は16号棟で、9階建へ増築工事中の写真である。当初の計画では、更に3層を増築し12階建てになる予定だった。コンクリートや資材昇降用足場が確認できることから、1918(大正7)年の写真である。右側手前の建物は、大正2(1913)年建設の木造5階建て鉱員社宅。屋上庭園を設け、各階の床はコンクリートだった。 石炭の積出し風景。大型の船は水深が深くないと、島の近くに寄り着くことができなかったので、石炭を積込む為にクレーンを横に寝かせたような形状のベルトコンベアーを備えていた。先端は前後の移動や、回転ができるような構造になっている。写真の場所は、現在、上陸の際に使用しているドルフィン桟橋側である。

基本情報

軍艦島の近代建築群
右手の直線的な建物は、9階建炭坑労働者住宅16号棟。軍艦島と呼ばれる前の、大正末期の端島である。
住所/ 長崎市端島
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