大浦天主堂

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設計:フューレ神父、プチジャン神父
竣工:1864(元治元)年
施工:小山秀


26人の聖人が殉教した西坂の丘へ向かって建てられたことから正式名称を「日本二十六聖殉教者天主堂」という。鎖国が解け、外国人のための教会として幕末に完成した大浦天主堂は、隠れキリシタンが約250年を経て信仰を告白した「信徒発見」の地である。1953(昭和28)年、国宝に指定。 フランス人宣教師指導のもと、天草出身の棟梁小山秀が手掛けた日本最古の天主堂は、ヴォールト天井や尖頭式アーチ形の窓をもつ本格的な洋風建築で、日本人が洋風建築を手がけた最初期の例として貴重である。 写真は、創建当時の外観。1875(明治8)年と1879(明治12)年に大規模な増改築が行われ、現在の姿となった。

Photo

クリスマスのライトアップ。クリスマスイブと信徒発見の日の年2回だけ、ミサが行われている。

基本情報

大浦天主堂
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