長崎市公会堂の保存・再生要望書/DOCOMOMO Japan

DOCOMOMO Japanは、長崎市公会堂を戦後日本が建築設計と都市計画において、いかに戦争の惨禍を克服しようとしたかを理解する上で重要な歴史的建造物であり、長崎の歴史を物語る地域資源であるとして、2013年2月1日、長崎市長宛てに、保存・再生要望書を提出しました。

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長崎市長 田上富久 様
DOCOMOMO Japan代表 鈴木博之

「長崎市公会堂の保存・再生要望書」

DOCOMOMO長崎市公会堂保存再生要望書P1 拝啓、時下ますますご清祥のこととお慶び申しあげます。
 本会は、20世紀の建築遺産の価値を認め、その保存を訴えることを目的の一つとする、国際的な非政府組織DOCOMOMO(Documentation and Conservation of buildings, sites and neighborhoods of Modern Movemenモダン・ムーブメントに関わる建物と環境形成の記録調査および保存のための組織)の日本支部です。
さて、貴市におかれましては、長崎市庁舎の建て替え計画にともない、長崎市公会堂 (1962年竣工)を解体撤去の予定であると聞き及んでおります。
 ご承知のように、長崎市公会堂は、戦後期に最も旺盛な建築設計活動を行つた研究室の一つである早稲田大学・武基雄研究室の設計によつて、長崎を恒久平和の象徴都市として再生させる「長崎国際文化センター」構想の中核施設として建設されました。
長崎公会堂はその建築史的な重要性によつて、本会が2003年に選定した日本を代表する歴史的に価値のある近代建築の100選の一つに選ばれています。同100選の中には、2006年に国の重要文化財に指定された広島ピースセンター(広島市、1952年竣工)や世界平和記念聖堂(広島市、1953年竣工)などが含まれています。長崎市公会堂も同様に、戦後日本が建築設計と都市計画において、いかに戦争の惨禍を克服しようとしたかを理解する上で重要な歴史的建造物であり、長崎の歴史を物語る地域資源と言えます。この長崎市公会堂は、以下の点で保存すべき建物と考えられます。

1)長崎の戦後復興を象徴する建築である。
 長崎公会堂は長崎を恒久平和の象徴都市として再生させる「長崎国際文化センター」構想の一環として計画が始まりました。もと公園として国有地だつた敷地が払い下げられ、旧市街地の中心に戦後長崎の新たな都市の核をつくることが目指されました。
建物の外観においては、毅然と伸びて深い陰影を刻む水平の軒と、それとは対照的な側面の日除け(現在の部材は当初の意匠を生かして後に改変されたもの)やテラス・階段まわりなどの細やかなデザインが特徴的です。また、建物の配置においては、公会堂を敷地の奥に寄せ、前面に広大な広場を確保したことが顕著な特色です。
 全体の形が遠目からも明確であること、それに広大な広場の存在は、この建物が単に公会堂としての機能を満たすだけでなく、市民の集いを支える確固とした骨格を持つベきという思想に基づくものと判断されます。それとは対照的に、細部まで配慮が行き届き、またタイル張りなどに当時の職人技術を反映した細やかなデザインは、木造家屋が軒を連ねる旧市街の環境に呼応したものと言えます。
 どちらも都市全体を考えた結果であり、長崎の戦後復興のシンボルを築くという要請に応えています。長崎の歴史に根ざした高い建築的価値を有しています。長崎公会堂が建設から半世紀を過ぎても市民の誇りとなつていることは、決して偶然ではありません。

2)長崎出身の建築家・武基雄の研究室が手がけた代表作である。
 設計の中心となつた武基雄(1910~2005)は、長崎市磨屋町に外科医の息子として生まれ、1937年に早稲田大学理工学部建築学科を卒業して1940年まで石本事務所に勤めた後、1940年から1979年の長きにわたつて早稲田大学で教鞭をとりました。1951年には武基雄建築設計事務所を設立し、研究室の学生と協同して建築設計の実務を手掛けました。武基雄研究室は、東京大学の丹下健三研究室などと共に、大学における教育活動と設計活動を連動させ、多数の有名建築家を輩出した研究室の代表格に当たります。
 武基雄が建築家として郷土と再会したのは、1956年に実施された長崎市役所の設計競技においてです。武基雄研究室の提案は3等に入選しましたが、その際に西岡竹次郎・長崎県知事(当時)が関心を持ち、「長崎国際文化センター」構想に武基雄を起用しました。これによつて、武基雄にとって仙台市公会堂(1951年竣工)に次ぐ公共建築である長崎水族館(1959年竣工)が生まれ、続いてこの長崎市公会堂が建設されました。その後も武基雄研究室は、長崎県下に島原市文化会館(1974年竣工)、諫早文化会館(1980年竣工)、島原図書館(1986年竣工)などを設計しています。
 長崎市公会堂を設計した当時の武基雄研究室には、後に建築界で活躍する人材が集まっていました。長崎水族館ならびに長崎市公会堂は、こうした若手が総力を挙げ、都市の中での建築のあり方に説得力ある解答を出したものとして当時から高く評価されています。
 武基雄の戦後期(昭和20~30年代)の代表作のうち、仙台市公会堂は今は無く、長崎水族館は長崎総合科学大学シーサイドキャンパス校舎として一部を残すのみです。日本の建築界の先陣を切り、長崎に深い理解のある武基雄が郷土に残した代表作である長崎市公会堂は、かけがえのない価値を持つと言えます。

3)戦後の公会堂建築の展開において重要な建物である。
 長崎市公会堂は戦後、各地に公会堂が建設され始めた時期に建設されました。当時、武基雄研究室で設計を担当した渡辺満は、設計の要点について次のように簡潔に記しています。「この建物は、市民劇場といつた方がよりはつきりその内容を示しています。
 私たちはなによりもまず、観客にすべて舞台上を、はつきりと気持よく観られ、そして、聴かれなければならないという点を満足させるべく考えました」。
 以上の目的を満たすためにホールを人角形とし、客席を五層に積層させて、舞台と客席の距離をできるだけ短くしています。後方のステージ部分も明快な平面構成であり、外部からは別棟であるかのように見えます。
 これらの特徴には、戦前につくられた定型を疑い、機能を重視して新たな設計を行おうという戦後の公会堂建築の特質が如実に現れています。設計においては、座席の一席一席から舞台が見えるかをどうかを手書き図面で入念に検討したという証言が残されています。
 こうした設計過程から、現在見られるような客席と劇場の一体感が生まれています。
 ここには「市民劇場」の理念が形態化されています。本建築は戦後の公会堂建築の展開を追う上で重要な資料であり、同時に再びつくることが困難な優れた空間性を有しています。
 以上のことから、貴市におかれましては、このたびの計画に際し、その価値を十分に認識され、かけがえのない文化遺産を後世に継承していただけるよう深甚なるご配慮を賜りたく存じます。
 長崎の戦後復興を象徴し、郷土出身の建築家の代表作であり、戦後建築に大きな足跡を残している長崎市公会を保存しながら活用することは、長崎の街の歴史をさらに厚みのある豊かなものにすると言えます。
なお、本会はこの建築の保存に関して、技術的支援などできます範囲でお手伝いさせていただきたいと考えておりますことを申し添えます。

 今後とも、この優れた由緒ある建築と環境の保全に、ご理解とご協力を賜りますよう にお願い申し上げます。

敬具

投稿者

長崎都市遺産研究会
長崎都市遺産研究会

長崎都市遺産研究会は、都市の中で埋もれていたり、解体されようとしている貴重な建築遺産を発掘、保全し、次世代に継承するための支援活動を行う市民団体です。

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