国境を越えて届けられた善意(1955~57)

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「1956年5月13日付、ニューヨークタイムスに掲載されたTINY GIFTS FOSTER NAGASAKI PROJECTの新聞記事 」Thousands of Nagasaki citizens are contributing one yen out of every 1,000 they earn to transform this atom-bombed city into an international center of cultural studies.

原爆投下から10年後、三度原爆を人類の上に投下してはならないという悲願を全世界に訴えると共に、その共感を基盤として、原爆の地長崎に、世界文化の向上に貢献し、かつ、人類永遠の平和を象徴する、長崎国際文化センターの建設が計画されました。この実現のために、長崎県民は、毎月、給料から1/1000ずつを寄付するという運動を実施し、子供たちも参加しました。国内はもとより、世界各地から善意が寄せられ、寄付金の総額は3億2,900余万円に達しました。これに、県市の財政資金と長崎観光開発株式会社の投下資本を加え、9億円の一大事業が実現しました。1959(昭和34)年に水族館が完成し、続いて、図書館、プール、体育館、公会堂が完成。1965(昭和40)年に県立美術博物館が完成し、一連の文化センター建設事業が完了しました。事業完了の際に刊行された「長崎国際文化センターの歩み」には、その全貌が詳細に記録されています。特に、<国外接渉経過>のページには、アメリカを中心に、ヨーロッパ、インド、アフリカなど、寄付金に添えて、国境を越えた共感や激励の手紙が届いた様子が時系列に記録されています。

本構想によって生まれた多くの建物は失われ、2015年に閉鎖された長崎市公会堂も、市役所の立替用地として解体の危機にさらされています。私たちは、文化による心の復興を果たした長崎の歴史を、世界中の人々に発信し続けていかねばりません。この長崎国際文化センターの建設がどのような意義をもつものであったかをもう一度思い起こす必要があります。

以下、「長崎国際文化センターの歩み」より<国外接渉経過>を抜粋。

1955(昭和30)年

12月 諌早,山口良輔氏「世界農村・青年農業実地研究」の一員としてアメリカ,ミシガン洲に長期実習のため渡米し,その際,参集する全世界農村青年約150人に英文資料を渡す。

12月 ロンドンタイムス新聞記事として長崎国際文化センター記事掲載さる。

1956(昭和31)年

2.13 会長,汎太平洋観光会議に出席,数拾名の著名,米,豪,加人に協力要請

2.16 会長,米国大使館に於て米アリソン大使訪問,アリソン大使長崎県民の1/1000運動に感激,協力を約す。

2.17 アメリカ原爆傷害調査団一行来訪,趣旨に共鳴し金一封を即座に数人寄附。

2.28 ニューヨーク,オクセマ牧師,本計画を聞き寄附金送付(鎮西学院犬塚先生を通じ〉

3.8 佐藤副会長,アジア文化財団ロバート博士を訪問, ロバード博士協力を約す。

3.10 佐藤副会長,アメリカ,ハースト系新聞社長ハースト氏来日につき,訪問,ハースト氏アメリカ,ハースト系17新聞に報道,更に寄附申込を約す。

3.11 アメリカ,サタデイ・イブニングポスト(発行部数約550万〉日本駐在記者ライシヤワ博士夫人と面会。協力及同誌掲載を約す。

3.19 世界新聞記者会議(IPI) 150名中,外人記者約50名に説明,感銘を与え,インド「ヒンヅー」紙副社長の寄附を始めとして各々の新聞に報道を確約す。

3.29 西岡参議,東京丸ノ内記者クラブにて,内外記者50名と会見。文化センター協力要請。

5.7 ニューヨーク・タイムス紙日本支局長ロバート,トラムベル氏来崎し,長崎国際文化センター建設の趣旨及びその協力運動を知り,感動して取材す。

5.14  ニューヨーク・タイムス紙(5月14日付〉に,“零細な寄附が長崎の計画を援助す“と言う見出しの下「長崎特電」として掲載される。

5.16  カナダ,アルバータ州,キャルガリ市の富豪ハーヴィ夫妻, カナダ大使のすすめで来崎し,その際長崎国際文化センター建設計画を知り,協力を確約す。尚,同夫妻は同市に図書館,博物館をつくっている。

5.17  アメリカ,カンザス州,ウィチタ市で発行されている新聞ウィチタ・イーグル紙(5月5日付)に約半頁にわたり,長崎国際文化センターの記事及原爆直後復興の長崎の写真をかかげて大々的に報道「長崎はウィチタより遠い。併し友愛のきずなは陸や海できられてはいない。」等の非常に好意ある精神で一貫されて書いてある。

5.20  ニューヨーク市のベア氏(インペリアル刃物連合会社社長,ベア財団の委員長,コロンビア大学拡張委員長として数百万ドルを募金しているアメリカニューヨーク財界の有力者)は,上記ニューヨークタイムス紙を見て感動し,取敢えず寄附金100ドル同封した手紙が日本の取引商会である加地商会社長加地幸一氏を通じて送付される。

5.29  カリフォルニア,ボーターヴィル市メソヂスト教会のキリスト教主義教育指導者コンデイット氏,上記ニューヨーク,タイムス紙記事を見て感動し,「私が中心となって,寄附金を集め,ー括して送付する」旨,手紙来る。

6.1  英国のジャーデンマゼソン船舶部,日本総支配人F,Mアイダ氏より,寄附金\15,000送付し来る。

6.7  カナダ・アルバータ州キャルガリー市ハーヴイ夫妻より,長崎訪問に際して,文化センターの計画に感銘した旨の手紙と共に1,000ドル送附し来たる。(邦貨換算36.5万円〉

6.14 米国,コネチカット州,ウェストポート,のウィニィフレッドスピイクス氏,ニューヨーク,タイムス紙を見て感動した旨の手紙を添えて取敢ず5ドル送附して来たる。

7.17 世界60ヶ国の約1,300人に及ぶ世界水産学者に対し,専門の立場より長崎国際文化センターの特に水族館の建設に対し協力を乞う旨の手紙を資料と共に送付す。

7.20 外務省を通じ土屋ニューヨーク総領事より文化センターに対し建設資金の一部として寄附金の申出が, ニューヨーク市民より数件あり,進捗状況につき回報ありたしとの公文書来る。

7.31 在外日本大使,公使(領事館約60ヶ所)にあて資料を添えて会長名で本計画の説明及外人より問合せや寄附金申込等の場合の取計方の配慮方を願う手紙を送付す。

8.6 8月6日付,「ザ,タイム,オプ,インデイア」(インド,ボンベイ市で発行されているインドの代表的新聞)に長崎国際文化センターの記事が掲載さる。

8.15 同紙を読んだ,ボンベイ市の,ゼ,ヴイ,ガンヂーより「インドは平和主義を原則としています。平和は印度の文化,生活の標語で,この計画にインドは援助と協力を期待出来るものと思います」旨の激励と協力の長文の手紙を知事宛によせた。

8.19 全米アメリカPTA会長ロ一リン,ブラウン女史は, フイリッピンでの世界教育会議の帰途,来崎した際,副知事より国際文化センターの話をきき帰米してより協力する旨約した。

9.16 商店経営指導のため,通産省の招へいで来日したアメリカ商品学の権威ニューヨークのヨーゼフ・ギロゼ氏は来崎した際,国際文化センターへの協力を約す。

9.20 来崎した琉球米商業会議所会頭, ジェムス,W,ケリ一氏は県庁訪問した際,国際文化センター建設計画をききその趣旨に共鳴して,その場で50ドルを寄附された。

9.21 先般,東京及び京都で開催された国際遺伝学会議に出席した世界的学者,スターン博士(カリフオルニア大学動物学教援,前国際遺伝学会会長)及プリウ博士(アマースト大学生物学教授)は長崎大学での講演のため来崎し,県庁訪問の際,副知事より,本計画をきき帰米してより,大いに協力する旨約す。

9.22 平和を基盤とする長崎国際文化センターの建設基金にアメリカの15才になる少女から長崎市長気付で長崎国際文化センターの事務局に1ドル送られてきた。 この少女は米国ニュージャージイ州アバーモンクレヤに住むモリープット嬢その手紙の要旨は 「新聞ラジオで原爆に痛めつけられた長崎市がようやく立上り,平和のシンボルとして国際文化センターを建設しようと,現在,その資金を集めていることを知りました。私は長崎国際文化センターが世界各国に平和をもたらすものであることを希望し,建設基金として私の小遣い1ドルを送ります。 私は15才の少女ですが, 日本のことや私たちの国が日本に対して行ったことについては本で読んで知っているのでせめて,その償いになればと希望しています」

9.25 8月中旬より約1ヶ月にわたり渡米した長崎市長田川務氏は,セントポール,ミネアポリス,ワシントン,シカゴ,ニューヨーク,ロスアンジェルス,ニューオリンズ,ホノルルの各市を廻り,長崎国際文化センター建設計画を説明し協力を依頼した。

9.28 先に(5月20日〉長崎国際文化センター建設趣旨及1/1000運動に感動して100ドル送付されたニューヨーク市のベア氏より,同氏の友人より建設基金として送付を依頼されたからと50ドルが手紙と共にとどく。

9.29 オランダのハーグ市に住むヤンセン教授(同氏は先年,長崎干拓計画指導のため来崎された)より本計画を知り「世界相互のよき理解のため一日も早く,本運動の成功を祈る」旨の手紙と共に建設基金に1万円とどけられた。

9.30 インド,カルカッタ市に住むワトニー医学士(インド医学評議会員,インド看護評議会長〉より『タイムス・オブインデイア』紙で長崎国際文化センター建設計画を読んで本計画を知りました。私共印度は衷心より本計画に賛成する。印度で本計画のため何か仕事がありましたら喜んで協力したい」旨の長文の手紙が会長あてに送付された。

10.1 先に(8月15日〉手紙をよせられたインド,ボンベイ市のゼ,ヴイ,ガンヂー氏より更に「長崎国際文化センターについての資料を受取ったら,直ちに私はその理想を伝え,又此の運動に共鳴する友人達の賛助を求めるのに私のベストをつくします」旨の長文の手紙が会長あてによせられた。

10.5 全アメリカ,メソジスト,クリスチャン協会(600万人で日本のミッション,スクールの多くに毎年多額の補助金を送付されている〉の婦人部長,ブルックス夫人は広島女学院の創立75周年記念祝典のため来日,活水学院視察のため来崎されたが,佐藤副知事,田川市長と夕食を共にされた際,長崎国際文化センター建設計画の話をきき,帰米後大いに協力したい旨約された。

10.6 フランス,ツーロン市のツーロン海洋研究所長, フイリップ・タイエ氏より, 10,000フランを長崎国際文化センタ一計画の中,特に「水族館,海洋博物館,研究部」の建設のためにあてて貰いたい」,とはるばる,長文の手紙と共に送附されてきた。

10.10 ヨーロツパの自由都市トリエストの海洋研究所のシルヴイオ,ポリ教授から国際文化センター建設計画の一環である海洋研究所計画の参考のためにと彼の発行している研究誌17部がとどけられた。

10. 17 “少年よ,大志を抱け”の名言で有名な北海道札幌農学校(北大の前身)の校長であった故クラーク博士の孫に当る米国オハイオ州シンシナテイ大学英文学部長,ウィリアムS,クラーク博士夫妻は17日長崎を訪れた。同夫妻は北大開設80周年式典に参列するため来日されたのであるが,長崎の印象を次の様に語られた。 (家内と共に歴史的に名高い長崎にきて,これほど嬉しいことはない。長崎については私の娘がウールス・レ一大学を卒業する時, 16,7世紀の長崎の日蘭貿易について歴史研究の論文を出した所,第一等になったこともある程で,特に長崎には関心を持っていた。 九州は始めてだが,長崎の風光は非常に昔式で,古代味のある街である。私の祖父のクラークは,百姓の出身で,私も農業には少々興味を持っているが,長崎の傾斜地に畑が出来ているのは面白く東洋的だと思う。長崎国際文化センタ一計画は,時宜を得た,実に立派な計画である。是非御協力いたし,完成したい。帰米して,知人に宣伝し,協力を乞う心算である。戦後の北大は戦前の「少年よ,大志を抱け」の様な伝統がよみがえっていると思うし,美しい大学だと期待している。)

10.28 イギリスの生んだ今世紀最大の歴史家で文明評論家と言われる,アーノルド,トインビー教授(67才〉は彼のライフワークである,「歴史の研究」改訂のため10月20日来日し,約2ヶ月滞在された。同教授夫妻は10月28日来崎され,日本文明発展史における長崎の果した役割を調査されたが,其の際,長崎国際丈化センター建設計画及びこれへの180万県民あげての協カを知り,非常に感激された。 その後,日本各地を巡歴し滞日一ヶ月にわたった時,「日本印象記」を全国大新聞に発表されたが,文明興亡の原理を説く同教授に,戦後日本の姿の代表として目に映じたものは, まさに長崎であり,また,その復興の精神のあり方の中心として指摘されたものは,長崎国際文化センター建設計画であった。(更に其の後,同教授は,本文化センター建設委員会事務局に手紙をよせられ,ヨーロツパ, アメリカに本計画のことを私から知らせようという,丁寧な御言葉と共に力強い激励とを頂いた。)

即ち(10月31日毎日新聞全国版4段抜見出し「トインピー教授に聴く日本印象」抜粋)

「………今度の訪日でみて回った都市が前回の訪日当時より美しく,そして整って来ているのは,その庶民の力の現われであろう。戦争によって与えられた災害は,肉体的と言うか,物理的には建直すことができる。原爆被災都市,長崎の復興の姿をみても,私はまずそう思った。しかし,戦争によって失われる精神的,心理的な損失は大きい。 問題はその精神的な面の立直り方である。いまの日本はいわば,精神的な真空地帯にあると言える。これを何で埋めるかが問題だが,いまの仏教にはその力がない。また,神道はいまでも農村地帯などでは大きな力をもっているようだが,これも,かつて,政治的に結びついた時ほどの力はない。 この精神的な空白は今や世界的な現象ともいえるが,これを解決するためには, どうしても新しい宗教的な要素が必要だと思っている。私の言う新しい宗教とは既成の宗教をさすのではない。その根底で,宗教と結びついている新しい世界観ともいうべきものをこのような新しい精神的な支えが,いまこそ全世界に必要だと思っている。

私は長崎駅に降り,その復興の姿を見て,すぐ米国で,今もっとも繁栄しているジョージア州にあるアトランタ市のことを思った。この市が独立戦争で敗北側に立ち,壊滅的な打撃をうけた。しかし市民はResurgens(再起〉というラテン語を合言葉にして復興に努力し,ついに今日の隆盛をもたらした。 日本の戦災都市ことに長崎で,私はそれと同じ姿を感じたが復興というのは、復原ではなくて新しい姿をうみ出すことであって欲しい。此の土地では、いま文化センターの建設運動が展開されているときいたが、これこそは私が言う精神的な立上りを意味するものだといえる。

古い文化には二つの力ともいうべき特質があった。その一つは“忠誠”であり、もう一つは“勇気”さらにいえば“自己犠牲の勇気”であった。 この二つの特質は戦前においては軍国主義的な組織によって強力に生かされてきたが,いまの時代にあっては,新しい目標に向って適用し直さるべきものであると思う。それは『人類への忠誠』であり,もう一つは『戦争をなくすための勇気』である。日本人は必ず新しい目標のために, これら過去の特質をささげて惜しまないであろうと確信し,また,期待している。」

11.4 アメリカ・カリフォルニア大学動物学教授カートスターン教授〔遺伝学において世界的に著明な学者である〕より長崎国際文化センター建設計画の御成功を祈る旨の激励の手紙と共に,建設資金として10弗が送られてきた。

11.6 国際連合「婦人の地位委員会」米国代表ロレナ,B,ハーン女史来日し,各地を講演巡歴されていたが,11月6日来崎し,佐藤副会長と懇談の際,長崎国際文化センター建設計画をきき,強力に支援し援助をおしまぬ旨約束された。

11.25 ドイツ,ハンブルグ水産大学教授カスペル教授より次の様な旨の激励の手紙がとどいた。 「海洋生物学の研究をして居られる日本の方々とは以前から交流し合っていますので,長崎国際文化センター建設計画の中の海洋研究所計画には,非常な関心を持って居り,色々これについて更にお知らせ願いたいと存じます。 「黒潮」の研究をするには,長崎は最も便利だと思います。私も数ヶ月間,長崎に滞在して研究したいものです。何分あまり遠いので,そうした日本旅行をする機会をもちませんでしたが,海洋生物学と海洋学の国際会議を長崎において準備されたらと思います。 (丁度1956年4月カリフオルエアのラ・ジョラーの海洋研究所において会議がありました様に。日本のお友達の方々二人と共に私も参加しました。)私共の関係を更に親しく続けるために,色々の機会を利用したり,こうした文化センター建設計画を一日も早く完成させたいと思います。」

12.14 元米軍長崎軍政府司令官ヴイクタ・イ・デルノア氏から,「国際文化センター建設資金にして下さい」と同氏の令嬢パトリシアさんの名前で,50ドルが現在の勤務地で,あるオランダ,ハーグ市よりはるばると送られてきた。 同封の手紙の要旨は,「長崎国際文化センター建設計画をきき,大変嬉しく思います。これは素晴らしいお考えで,いつか,また好きな長崎に帰り,国際文化関係改善に役立っているのを見たいものだと楽しみにしています。同封の50ドルは娘パトリシアからの寄附です。娘は親切にも長崎から生涯名誉市民にして頂いたので、(註,長崎で生れた〉月給の千分のーを5年間寄附すべきだと主張しています。私らの家族は長崎の方々も御存知の13才のヴイクターと8才のパトリシアンと5才のキャサリンメリイでございます。この2年来オランダで過しましたが,私達は今尚長崎に帰りたいと思います。」

12. 17 アメリカ大使館人物交流部主任ナンシー・ダウニング女史と同部員ケン・マツコーマック氏が来崎し,先に米国視察から帰国した調長大教授,朝長同助教授,原民友新聞主幹,嘉村全炭鉱事務局長と近く渡米される渡貫長日社長を始め, ウォーラズアメリカ文化センター館長,松本国際文化センター建設委員会事務局長らと懇談し, 日米文化交流について意見を交換して,長崎国際文化センター建設計画を更に積極的に支持援助することを申し合せた。

1957(昭和32)年

1.12 元長崎軍政府勤務大尉ウィリアム・エス・ホブソン氏(現在アメリカ・ミシガン州センターライン)より「長崎国際文化センタ一計画が非常に価値高い事業であり,その募金運動にもアメリカの友人の方々にも協力を私から頼みます」旨の手紙と共に10ドルの寄附がよせられてきた。

2.11 昨年4月より,約半年にわたり,米国務省の招へイにより,アメリカ各地を視察された,長崎民友新聞,原編輯局長は,各地で会見された人々に,礼状を出されたが,その返書の中から,次の様に,長崎国際文化センターに対する力強い御協力の手紙や寄附金がよせられつつある。

 4月17日 ワシントンの,マイケル・ダニエル氏より 「文化センター完成を心から祈って居ります。僅少ですが,御受取り下さい」と言う文面と共に5ドル。

 4月24日 ニューヨーク市のアーサー・リーフ氏より 「文化センター建設のことをききまして,大変すばらしい計画だと思いました。本計画に益すると思われる案をいくつか申上げたい。 (A) アメリカのピイプル・ツウ・ピイプル財団に本計画のことを申出たい。之はゼネラル・エレクトリックの前社長チヤールス・イ・ウイルソン氏の下に財団が設立されている。之は主として,各国民聞の相互理解と愛情を促進する努力に関係している。文化センターの趣旨,計画と全く同じであるから,本計画を当財団を管理する方々に私からお話ししましょう。 (B) アメリカに於て日本と取引関係のある会社,工場に現在長崎で行われている「給料の1/1000計画」をすすめる様に提案したい。日本に関係ある,米国会社の表をつくって,送りますから,之等の会社の社長や従業員の代表者の方々に,長崎国際文化センターの会長から,手紙をお書きになる様にして下さい。」 と云う誠に心から熱意溢れる様な御手紙。

 5月1日 マサチュセッツのロベート・エル,カートバトリック氏より 「文化センタ一計画は実に立派で価値ある意図をもち,かくの如き計画は,長崎ほど適合する場所は他のどこにもありません。私は,セントポール市, ミネソタ・アジア財団,日本協会,その他,アメリカの種々の団体に,本計画について,援助して頂く様に,貴方達に無断で手紙を出しました。私自身の賞讃と此の立派な企画に,少しでも御手伝したいと言う願いのしるしとして,御受取り下さい」と言う手紙と共に5ドル同封。

 5月2日 フイラデルフイアの,ハリーエマーソン・ウイルデス夫人(70才〉より 「長崎国際文化センターを建設すると言う素晴らしい企画をお喜びいたします。国際平和と親善のために働くことは,実に偉大で良いことでございます。私の小さな寄附金をお送りいたします。もっと沢山の寄附が出来る余裕があれば本当にいいのですが。その不足の分は,私がペンシルヴアニアの国際会館で,日本のクラブを組織し,日本のことを紹介するのに努力しています。」と言う文意の手紙と共に15ドル同封。

 5月2日 ワシントンのマイケル・リース氏より 「私は昨年6月,ニューヨーク・タイムスで文化センターのことをよんでいました。私は本計画のことを色々な方面で公表していますし,又努力しています。私の小さな寄附を同封いたします」と言う大意の手紙と共に10ドル。

3.5 米国星条旗記者ラリー・アツシュマン氏は,長崎国際文化センタ一計画記事取材のため、3月5日より8日まで長崎に滞在し,各方面の人々に会い,計画の詳細なことや,建設予定地視察等をした。3月22日及23日の星条旗紙に殆んど1頁に及ぶ文化センターの記事及長崎のことを紹介された。

3.19 フォード財団理事,ジョン・スコット・エバートン氏は,19日来崎し,長崎大学の各教授と各研究部門について,懇談された際,長崎国際文化センターのことをきき,更に翌20日朝,佐藤副知事,松本局長等と観光ホテルで、朝食を共にし乍ら,詳細の懇談をなし,協力を約された。

3.25 アジア文化財団、日本駐在代表、ロパート,ビ,ホール博士夫妻は,長崎国際文化センタ一計画視察打合せのため来崎し,援助を約された。 ホール博士夫妻,秘書稲葉典子嬢とマックエルラス教授(アジア文化財団の援助で,文化交流計画のーとしてミシガン大学より金沢大学派遣)一行は25日来崎された。 26日午前中は県庁に於て,西岡知事,佐藤副知事,古屋野長大学長,松本文化センター局長と懇談,更に同日夕,西岡知事,佐藤副知事,田川長崎市長,古屋野学長,中部商工会議所夫人,松本局長等と夕食を共にし乍ら懇談。長崎国際文化センター計画について援助を約された。尚文化センターの中,特に国際図書館に重点をおき助力されることになった。

3.26 インドのカルカツタ市のジョーンズ博士より「小さな寄付金であるが,文化センター建設基金として受取って下さい。その目的とする国際平和と親善に共鳴して送ります」と言う手紙と共に1,111円が,和歌山市の中井栞氏を通じて送られてきた。

3.28 国際知的交流計画にもとづいて来日された,エール大学教授ラルフ・イ・ターナー教授は3月28日来崎。同教授は,文学・哲学博士で,現在エール大学の歴史教授であるが,その著書「文化の伝統」はマグローヒル商会より発行されているが,世界的に同教授の歴史的真価を発揮されたものとして有名である。同教授は28日夜,古屋野学長,松本局長より文化センターのことをきき,協力を約された。

4.2 デンマークの大北電信社長、長崎国際文化センター建設基金として5万円を寄付。 4月2日,佐藤忠平委員の斡旋により,デンマークの大北電信株式会社長崎代表,ヨハネス,ピーターセン氏は,同氏事務所に於て,長崎国際文化センター建設のためにと, コペンハーゲン市のスエンソン社長から送られた5万円を松本事務局長に贈った。

ピーターゼン氏談話 「大北電信株式会社は,長崎に支店がおかれてから85年になり,長崎に公私共色々御世話になって居ります。今回,長崎国際文化センター建設計画が発表されてより,何か御協力申し上げたいと思い,その資料をコベンハーゲンの人々に送りました。コペンハーゲンの人々は,長崎を知っている人々が多く,又,大北電信のスエンソン社長は大の親日家で,長崎に来られたこともあり,日本の皇太子が来遊された時には,特に歓迎会を聞かれたこともあります。今回,スエンソン社長から,文化センター建設に対して,寸志をおとどけすることが出来ることを光栄に思います。一日も早く文化センターの建設が出来ますことを祈ってやみません。」

4.30 米大使館文化交流担当官ニコールス氏及福岡米領事館文化交流官ロジナス氏は,長崎国際文化センタ一計画要件で県庁を訪問し,副知事と種々懇談,全面的に協力することを約された。

5.21 アルゼンチン,スペインから,長崎国際文化センターへ協力の手紙と資料及び寄附金来る西海区水産研究所辻田博士談 「昨年来,長崎国際文化センターの建設の一部の仕事になっている水族館建設に関連して,海外の海洋学者,水族学者に趣旨を訴え,色々の意見を出して貰う外に,精神的,物的援助をして貰うよう手紙を出していたが,その後,アメリ力、フランス、インド、スペイン等から激励の手紙と共に,基金や文献,図書などが送られて来るようになった。 先日は十数冊の海洋水産研究の論文がトリエステから送られて来たが,本日,南米のアルゼンチン,ブエノスアイレスの航海水路局長,アウグステイン・ぺナス氏から、船舶の航海に必要な水路誌十四冊,海図十数枚,南極ウェツデル海の海洋探険結果の概報,国際地球観測年におけるアルゼンチンの南極観測計画など, アルゼンチンの海洋研究活動の現況を知るのにこの上もない資料が送られて来た。 我々当事者は大変激励され,またこの長崎国際文化センター建設が如何に各国に関心をもたれているかを痛感している。更に、スペインのジエロナ市の水産研究所長,セノール・ルビオ氏から,長崎国際文化センター建設に対する激励の言葉と,寄附金を送金する旨の手紙が来た。」

5.20 西岡知事は,東京より帰崎し,3月,ロックフェラー3世が,日本訪問された時,面会し,長崎国際文化センタ一計画援助を依頼された経過を次の様に発表した。

1. 岸総理が,アメリカ行に先立って,吉田元総理を大磯の自宅にお訪ねされた。 1. その時,吉田茂氏は,アメリカで政府の大官と会われるであろうが,民間の最も有力な, ロックフェラー三世とデューイ氏の二人には,是非会う必要があると注意を与えられた。 1. 岸総理も,お言葉に従って,必ずお二人には,お目にかかって参りますと答えられた。 1. このことは,東京の各新聞に掲載されてあった通りであります。 1. 私は,このロックフェラー氏,ならびに,令夫人と,工業クラブの歓迎レセプションでお目にかかり,更に,翌日,帝国ホテルの宿舎において,約一時間にわたって,御懇談申し上げた。 1. 私から差し上げた手紙に対する,別紙のとおりの御返書を頂いた。

(別紙)ロックフェラー三世夫妻あての,西岡知事の書簡

1. 閣下御夫妻は,非常に御忙しい中を,去る二月末より三月にかけて,約二週間にわたり,日本を訪問して頂いたことは,私達の最も光栄とするところ。 1. その間,自由主義国家群の一つとして,また,国際連合の新しい加盟国として,いま,世界平和のため,懸命の努力を続けている日本を親しく御視察いただき,いろいろ,ご指導,御教示を賜りましたことに対して,深甚の敬意を払う次第であります。 1. また,閣下は御滞日中,寧日の御多忙をおいといなく,不肖西岡に、二度まで、懇談の機会を与えられたことは、ただただ、望外のよろこびでありました。 1. その際、閣下御夫妻、次回の御訪問の際は、長崎に御来駕の栄を賜る旨の御約束を得ましたことは、ただ、西岡一人でなく、百八十万県民のひとしく、喜びとするところ。 1.長崎県民の郷土復興ぶり、新しい街づくりにいそしむ姿、更に、別紙長崎国際文化センター建設計画の進捗ぶりを、新しく御覧になっていただきたい。 1.私達の郷土長崎は、過去四百年の長い間、日本における欧米、及び東洋文化の唯一の門戸としてのすぐれた歴史を有し、その資料、遺跡もまた、世界史の数ページをかざる、といささか自負するところ。 1.更に長崎、日本に於いて国立公園を二つも有する唯一の県。 山の雲仙国立公園、海の西海国立公園、その風景の美は、言わんかたなし。 1.幸いに、五月一日より、長崎市近郊に民間航空場が開かれ、東京より所要時間約四時間半。 1.閣下御夫妻の次回の御来日の日取りが決定しましたならば、御面倒乍ら、私まで御一報あらんことを。 1.最も効果的な、スケジュールを作成し、御夫妻の長崎御訪問が、御期待以上のものとなることを、御約束する次第でございます。 1957年4月18日 長崎県知事 西岡竹次郎 添付資料 1.文化センター建設への援助を乞う要望書 2.長崎国際図書館について 3.長崎小史

ロックフェラー氏より西岡知事あての返書

啓上 四月十八日付,お手紙,並びに,御鄭重な御言葉,有難うございました。家内も,私も,先日,東京訪問で,御一緒になりましたこと,及び,ベッ甲製の贈物をお贈り下さいました貴方の御親切をたのしく想い出します。長崎国際文化センターに関する,貴方の御要請を, ロックフェラー財団の事務所に,送付するところでございます。事務所では,きっと,あらゆる考慮を払い,当然,その方から,直接,貴方に,たよりがある事と存じます。御察しの事と存じますが,こうした重要な事柄は,調査,研究に時間がかかります。そこで,返事が届くまでには数週間を要するかと存じます。敬具 五月三日(ニューヨーク〉ロックフェラー 長崎県知事西岡竹次郎閣下

5.21 南アフリカ観光団一行16名は,雲仙からの帰路,5月21日長崎にー泊。長崎の復興の姿に驚異の眼を輝かせた。その日,長崎国際文化センターの建設計画を知り「これは全く意義深い計画だ。」と下記の手紙と共に金12,500円が寄附金として届けられた。「お歓迎に対する感謝と,貴方方の好意と親切に対する感謝のしるしとして,同封のものを,文化センターの基金として寄附いたします。南アフリカの春の観光団より長崎市民の皆さまへ」 なお,同観光団マネージャの,F・L・ヘグナー氏は,帰国後,南アフリカのダーバンより,文化センタ一実現の日の早からんことを祈る旨の7月3日付手紙を,文化センター事務局によせられた。

6.8 米国大使館農務補佐官A・M・ローレフソン氏及び,米国オレゴン小麦栽培者聯盟極東代表者,ジョー・スプルータ氏は,九州主要県パン製造視察のため来崎し,その際,長崎国際丈化センタ一計画をきき,10ドル寄附。

6.26 米軍新聞星条旗紙に「長崎市民,文化センター基金に寄附す」という4段ぬき見出しの下にー頁の1/4にわたり文化センターの計画及びその県民運動化した募金状況が記事として記載された。

6.29 アメリカ,ワシントン郊外に住む,ローレンス,ベルリン氏(もと長崎アメリカ文化センター館長)より,長崎国際文化センタ一計画の成功を祈る旨の手紙と共に,5ドル送付。

7.2 長崎青年会議所は,かねてより,長崎国際文化センター建設に対し,全面的協力をなしているが,本年10月東京で,全世界青年会議所代表者大会が開催されるのを機として,全世界60ヶ国の代表者,約2,000人に対して,全理事長,山田吉太郎名で,長崎国際文化センター建設計画を説明し,協力を乞う旨の手紙及び,資料を送付した。

7.12 ニューヨーク,アメリカン・サイアナミツド会社,マーチン副社長より,100ドルを文化センター基金として送られ,成功を心から祈る旨の激励の言葉が添えてあった。

7.13 イリノイ州,北シカゴ,特許及び商標,法律顧問ジョン・シュナイダ一氏より,文化センターが,一日も早く成就されんことを祈る旨の手紙と共に,100ドル寄附金が送付されて来た。

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長崎都市遺産研究会
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長崎都市遺産研究会は、都市の中で埋もれていたり、解体されようとしている貴重な建築遺産を発掘、保全し、次世代に継承するための支援活動を行う市民団体です。

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