長崎発!:1ドルと公会堂 /長崎 毎日新聞 2014年05月05日 地方版
米国ニュージャージー州に住む15歳の少女から1956年9月22日、長崎国際文化センター事務局に長崎市長気付で1ドルを添えた手紙が送られてきた。
「原爆に痛めつけられた長崎市がようやく立ち上がり、平和のシンボルとして国際文化センターを建設しようと、現在、その資金を集めていることを知りました。(中略)建設基金として私の小遣い1ドルを送ります。日本のことや、私たちの国が日本に対して行ったことについては本で読んで知っているのでせめて、その償いになればと希望しています」
同センター建設委員会記念誌に収録されたエピソードだ。委員会は国内外から3億2900万円の寄付金を集め、水族館、図書館、体育館、水泳プール、公会堂、美術博物館の6大施設の建設に貢献した。
同誌によると、米ニューヨーク・タイムズ紙が建設運動を取材し56年5月、「零細な寄付が長崎の計画を援助す」と報じているというから、少女の「1ドル」もそんな報道が影響したのだろう。
それから間もない56年10月30日付の毎日新聞に英国の歴史学者・トインビー博士が長崎を訪れた際の記事がある。スケールの大きな文明史観を展開し、大著「歴史の研究」などで知られる人だ。
博士は長崎駅に降り立ち、米国独立戦争で敗北した南軍の拠点で壊滅的打撃を受けながら、「再起」を合言葉に復興を遂げたジョージア州アトランタを思ったと語る。
「この土地(長崎)ではいま文化センターの建設運動が展開されていると聞いたが、これこそは私のいう精神的な起(おき)上がりを意味するものだといえる」と博士の言葉を記事は伝えている。
15歳の米国少女と、トインビーの心を動かした長崎復興の取り組み。それを今に伝えるのが長崎市公会堂だということに、今一度、思いを致してみたい。<長崎支局長 下薗和仁>
〔長崎版〕